雅憐 休団のお知らせ
『雅憐 休団につきまして』
いつもご愛顧いただき誠にありがとうございます。
突然のご報告となりますが、私、雅憐はこの度、実家の父の介護のため東京を離れることになりました。
東京には長く住んでおりました。
その時間の分だけ沢山の方と出会い大事なことを教えていただきました。
その土地を離れるのは大変名残惜しいものがありますが、その大切な時間を糧に、自分らしく、生きていこうと思っております。
急な話でしたので関係各所には多大なご迷惑をおかけしております。
その上で尽力していただき、お気遣い下さる皆さまには感謝しかありません。
本当にありがとうございます。
また役者としての今後の活動についてですが、正直どれほどのことが出来るか今は全くわかりません。
ただ関わる道は模索していきたい。
ですので、劇団と相談のうえ、立ち上げから一緒にやってきた『はぶ談戯』は退団ではなく、休団。
雅憐という名前もそれに関わる名義もそのまま使い続けることにさせて貰いました。
出来ることはやってみよう。それで出来なきゃ仕方ない。
そういう気持ちです。
どうかこれからも、雅憐とはぶ談戯を宜しくお願い致します。
2021年3月21日 雅憐
以下、主宰からのメッセージになります。
この度、急なご報告となりますが、雅憐が休団する運びとなりました。
雅とは、人生の半分以上を共に過ごしてきました。
右も左もわからぬままの旗揚げ公演。
今となっては笑い話ですが、ありえないトラブル三昧の公演に『次はないな...』と思ったはずが、気づけば22年も続けてきました。
その間、当たり前のようにそばにいて、支え続けてくれたのが雅です。
22年の間、とにかく語り尽くせないほど色々なことがありました。
どんな状況下でも、『穂科がやりたいならそれでいいんじゃない?』と、私が実現したい世界観にとことん寄り添ってくれ、決して多くは語らず、いつの間にかすべてをフォローしてくれました。
プライベートでも、私が再起不能のポンコツになる度、やはり多くは語らず、ジッとそばにいて私の気の済むまで話を聞いてくれました。
そうやって、気づけば劇団にとっても私にとっても大切な存在になっておりました。
この一年、当たり前なことが当たり前ではなくなり、色々なことが変わりました。
今までもこれからも、当たり前のように共に過ごしていくだろうと思っていた雅が遠くに行くことになりましたが、決してはぶを、役者を辞めるわけではありません。
どんな形であれ、これからも共に歩んでいけると思っています。
一緒に遊ぶ(芝居を打つ)方法なんていくらでもありますから。
とにかく多くを語らない男です。
慣れない環境でしばらくは大変かもしれませんが、きっと何も語らないのでしょう。
しかし今度は私や団員に語り、寄りかかってほしい、そんな風に思っています。
そしてこれからも雅憐が役者として、表現者として続けていけるように。
それが当たり前の日常になるように、私たちで支えていきたいと思います。
長くなりましたが、これからも雅憐を、そしてはぶ談戯をよろしくお願い致します。
2021年3月21日
はぶ談戯主宰 穂科エミ
以下、団員からのメッセージになります。
1999年7月
「はぶ談戯」の前身となる「レボ100%」の立ち上げからずっと一緒にやってきた言わば戦友。
辞めてしまう訳ではないのでしみったれた事は言わない。
この1年で、遠く離れてもいくらでも会えるって知ったし。きっと作品も作って行ける。うん。大丈夫だ。
大ちゃん(昔からの呼び名)、こっちは任せて。
行っといでっ!!
長谷椿
雅さんは私にとって、はぶ談戯の父であり兄であり先輩です。
時には厳しく叱ってくれて、優しく私の愚痴を聞いてくれて、温かく私を励ましてくれる人です。
打ち上げを抜け出して二人でラーメン食べに行ったこともあったなぁ。
いつも守ってくれてた雅さんの帰ってくる場所を、今度は私がしっかりと守っていきます。
いつもの、あの飄々とした感じで「ただいま~」って帰ってきたときに胸を張って「お帰りなさい!」って言えるように。
だからこれからも雅さんを、はぶ談戯をよろしくお願い致します。
南貴子